「ハルキスト」と聞くたびに思います。

人にレッテルを貼って、一括りにして評価するのがレイシズム(ここでは特定の人たちを、大なり小なり差別することとします)の始まりだと思うのです。ですから、マスコミはこういうことをやめてほしいなあと。

村上春樹のファンといっても一人ひとり、個性も生い立ちもオタク度も思い入れも違うはず。

「ハルキスト」と呼ばれて喜ぶ人もいれば、不快に思う人もいるのではないでしょうか。

※全員喜んでおられるのなら、認識違いで本当に申し訳ありません。もしその通りなら、続きはパラグラフを3つほど飛ばしてお読みください。

村上春樹の新作が出るたびに、村上春樹の良さが分からないと嬉しそうに書く人たちがいます。本来「分からない」というのは恥ずかしいことであり、そんなことを自慢気に書くものではありません。

しかし、こういうことを「うれしそう」にやるということは、要するに「分からない」ことに優越感や仲間意識があるわけです。こういう現象は「ハルキスト」という言葉が流通するようになってから顕著になったと感じます。

レッテル貼りが全てレイシズムにつながるにつながるとは言わないし、そもそも「ハルキスト」に対するこのような行為をレイシズムと呼ぶのはおおげさとは思います。

しかし、レイシズムの始まりはレッテル貼りというのはおそらく間違いないし、レッテルを貼られて不快に思う人が多いのは事実です。

私たちの世代は、就職活動期に「新人類」と呼ばれました。「世の中を変えていく革新的な世代」という褒め言葉では全くなく、「従来のきちっとした大人からは理解しがたい、言葉が通じない連中」という意味です(あえてレッテル貼りをさせてもらうと「団塊世代」にそんなこと言われたくなかったw)。

面接では「私は新人類ではありません」という学生が続出。多くの学生が、自分に貼られたレッテルを不快に思っていた証拠です。

今の若い人たちも「ゆとり」とくくられて不快な思いをしている人がたくさんいると思います。

マスコミは雑なレッテル貼りで、何だか世の中を切り取って見せたなんていう自己満足に浸るのはやめて、もっと人間一人ひとりの違いに目を向ける繊細さ、優しさを持ってほしいと思います。

レッテルを作る学者や評論家が別にいるのかもしれません。しかし、貼るのは新聞・テレビをはじめとするマスコミです。

レイシズムの話にまで至るのは少し話を広げすぎたかもしれません。話をこのサイトらしい方向に持って行きたいと思います。

「新人類」や「ゆとり」のようなレッテル貼りをする上司をあなたはどう思うでしょう?

「軽い冗談」、「ボキャ貧なだけ」、「ちょっと無神経なだけ」と軽く受け流せる人もいるでしょう。実際こういう上司が多いのかもしれません。

しかし、ことあるごとに「やっぱり、ゆとりはダメだな」などという上司をあなたは尊敬・信頼できるでしょうか?

できませんよね?

なぜでしょう?

それは、レッテル貼りをする人間は、人に対する関心が雑だからです。一人ひとりを見ずに、くくってしまうことで安心してしまう人です。

しかし、レッテルに対して尊敬や信頼はできません。一人ひとりに目を向ける繊細さ、優しさがなければ尊敬や信頼はできません。何よりも相手に関心がないとできません。

一人ひとりに関心を持ち、尊敬・信頼をするリーダーだけが、メンバーの尊敬・信頼を勝ち得ます。そして最終的に勝利するチームは、このようなリーダーのいるチームです。

奇跡の営業所』の主人公のモデルである吉見範一さんが、全国最下位だった営業所をダントツの日本一にした最大の要因が、スタッフにレッテルを貼らずに一人ひとりを尊敬し信頼したことでした。

吉見さんが、担当した営業所のスタッフたちに「営業初心者」というレッテルを貼ったままだったら、きっと最下位のままだったでしょう。

※ちなみに私は村上春樹のファンではありませんが、良さは分かるつもりです。