ひとりもいいね!オヤジの人生充実メディア JAGZY」に「愛を求めて やきとり漂流」という連載を持たせてもらっている。

その第1回の最後のほうに「僕が第1号かどうかという“やきとりライター”の世界」と書かせてもらった。一応ネットで調べる限りでは、「やきとり評論家」という方はおられたが、「やきとりライター」はどうもいないようだ。まあ、第1号にはこだわらないが、第一人者にはなりたいという希望はある。

第一人者になれるかは、姿勢の問題だろう。そこで、第一人者にはまだほど遠いが、僕なりの取り組み姿勢をひとまずまとめることで、一歩でも近づきたいと思う。

●チンケなマーケティング上の理由がはじまり

そもそもなぜ「やきとりライター」などと名乗ろうと思ったかというと、正直チンケなマーケティング上の理由が最初だった。

僕は、居酒屋関連のライターにあこがれていた。とにかく飲みに行く回数が多いので、それが仕事になれば趣味と実益を兼ねられていいだろうと思ったのだ(これは、とんでもない間違いであり、取材と“飲み“を兼ねるのは苦行である。昔から「好きなことを仕事にしてはいけない」というが本当のことである)。

とはいえ、居酒屋ライター/評論家と呼ばれる人は多数いる。吉田類さんやなぎら健壱さんのような大御所もいるし、年配の作家が書くその手のエッセーにも叶わないだろう。

多少のマーケティングの知識があったので、これは絞り込むことだと思った。

どうせ絞るなら、一番好きなもので絞ることにした。それが「やきとりライター」というジャンルで行こうと思った始まりだった。

●グルメレポートではなく

思いついたはいいがすぐになれるものでもない。ひらめいたのは2012年だったと記憶するが、特に売り込みもせず2年ほどの時間が過ぎた。

たまたま以前から知り合いのJAGZYの編集長と一緒に飲む機会ああり、売り込んだのである。ただ、最初の企画は違っていた。釣りに関する連載だった。それがかなり酔ってから出た口からでまかせだったので、シラフの時の打ち合わせで、かなり躊躇したあとに「やきとりのルポはどうか」と提案したのだった。

ためらったのは、コンセプトが定まっていなかったからだ。いわゆるグルメレポートだとしたら、僕は味覚の表現があまり上手な方ではない。たぶん面白いものは書けないだろうと思ったのだ。それでは、いくら知り合いでも編集長を説得することはできない。

そこで、このチャンスを逃すまいと急遽頭をフル回転して、ひねり出したのが下図のコンセプトであった。

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▲グルメレポートとやきとりルポーの違い

店と料理が中心情報で他は周辺情報となる「グルメレポート」ではなく、全てが渾然一体となるやきとり屋を舞台に人間模様を描こうというのが、そのときの僕の提案だった。それは、僕が本当に書きたいものであり、また編集長も興味を示してくれるものだったのだ。

●近くのやきとり屋で練り直す

編集長とこのような議論を1時間ぐらい重ねたあと、日経BP社の近所にあるやきとり屋(いずれ登場する予定だ)に二人で出かけて、先の提案の実現性を検証しようということになった(と書くと、格好いいが、実際はただ飲みに行きたかったのだ。

そのときに思ったことを、再整理したのが下図である。

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▲他のジャンルでなく「やきとり」である積極的な理由

元々はチンケなマーケティング的な理由からひらめいた「やきとりライター」であったが、実際にやきとり屋に来てみると、結局は自分自身のやきとり愛の発露だということが改めて分かった。

なので、取材は確かに苦行なのだが、後悔はないのである。

●毎回ノウハウが溜まっていく

とはいえ、先輩もいない世界なので、毎回ノウハウを作っているというのが現状である。

1回めは、どうやって取材を頼むかで苦労した。そもそもやきとり屋は忙しいのである。そこで、店主からは雑談ベースで必要最小限なことだけ聞き出し、あとは常連さんに語ってもらうというやり方にすることにした。

2回めは、写真で失敗した。帰宅してから写真をセレクトしていたら、あまり美味しそうなのがないのである。原因は、皿の汚れ。温かいのを食べてもらおうと少しずつ同じ皿に出してくれる店だと、皿が汚れるのだ。こういうことにも気を遣わないといけない。

ただ、こだわりとして「客としての自分が取材する」ということがある。したがって、写真にこだわった挙句、せっかくの焼き物を冷ましてしまったり、別の皿を出してもらうなど他の客とちがうサービスを要求したりするのは自己規制することにしている。

「すべてにベストを尽くせ、もちろん写真も」という意見も分かる。ただ、このような制約条件を課すことで記事の質が高まる面もあると僕は思っている。僕としては、写真の失敗はやはりお店に申し訳ないので、ノウハウを蓄積する中で解決していくつもりでいる。