2020/7/15(水) 雨のち曇り 78.6 2299

いわゆる「ゴーストライター」の仕事をはじめてやったのは、2012年。そのときは知人から直接依頼された。その仕事は単発だったし、ずっと続けようとは思っていなかったのだが、2014年にライター専業になってからは、IT企業の販促コンテンツ執筆と並ぶ収益の柱となってしまった。

ゴーストと言ってもビジネス書の場合は、著者の考えをインタビューしてそれをまとめるだけだから、小説など創作物のような「犯罪性」や「背徳感」もない。忙しくて書いている時間がないけれど、世の中にとって有益だと信じることを伝えたい人を手伝っているだけのことだ。

実際ビジネス書に関して言えば、著者が自分で書いていないケースが多い。ホリエモン氏などは、忙しい自分が書くなんてあり得ないだろ?という感じで、自著内でライターと対話したりしていた。

とはいえ、「ゴーストライター」という呼び名は偏見を持たれがちだ(そういうタイトルのドラマもあったなあ)。そこで「ブックライター」と称することもあった。

最近になって出版社側で「ステキな」呼び方を考えてくれた。「スタッフエディター」と言うのである。ただこの場合は、エディターでもあるので、企画フェーズから関わっていくことになる。それでも「執筆料」は大して変わらないので、実質値下げみたいなものだがw、やりがいは大きいし、聞こえもいいので、今のところは「ま、いっか」という感じである。

ということで、まだ言葉は普及していないだろうが、「スタッフエディターという仕事もやっています」と言っておこう。そのスタッフエディターの仕事を、いま並行して3本やっている。そのうち2本は8月から9月にかけて、残り1本は9月から執筆開始というスケジュール。

要するにこれから忙しくなるのである。コロナ禍のせいで、今年の夏は旅行なんて気持ちになれないので(Go Toキャンペーンは僕には響かないなあ)、かえって良かったわけだけど、それにしたって3本並行はなかなかきついのである。

そこに量的には小さな仕事がひっきりなしに入ってくる。量的には小さいが、価値が小さいわけではない。それぞれ重要な仕事である。

こういうときに毎日コツコツ仕事して、少しでも日々の仕事量の平準化に努めるのがまともな人間なのかもしれないが、それは僕のスタイルではない。

休める日があれば、先に休んでしまう。それが僕のやり方なのだ。

ギリギリまでは引っ張らない。2割程度の時間的余力を残す。それでも気持ち的には切羽詰まった状態になる。そうなると、生産性が倍ぐらい(森川尺度)になるのだ。それを狙っているのである。

ということで、先のことを考えて気が滅入ってしまったから、今日は休んだのである。仕事はメールのやり取りと、録音データをPCにコピーするなどの雑用ぐらい。あとはブログやnoteを書いたり、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしていた。

オムライス。

退屈そうなコタロー。

▲画像をクリックするとコタローの記事へ

鶏ときのこの炊き込みご飯、大根と油揚げの味噌汁、ささみとキュウリのポン酢炒め。