2014年11月4日(火) 晴れ 79.1 1339

スロージョギングを2日やっただけで、ふくらはぎがパンパン。筋肉が衰えているのもあるが、たぶん、いきなりやりすぎたのもある。スロージョギングのサイト等を見ていると、はじめるときの推奨値が、時速4キロで30分以内。時速7キロで45分とかは、ちょっとやりすぎだったのだろう。ふくらはぎが張るのも、ウォーキングやサイクリングとは使う筋肉が違うということだろう。

ということで、今日は休み。また、明日からぼちぼちやろう。

ということで、朝からバリバリ執筆。ちょっと遅れ気味なのでピッチを上げないと。

昼食は、もやしと卵の塩ラーメン。肉抜きは続いている。油は若干使ったが。

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夜までに、目標10万文字中2万時まで書けたので終了。

妻が飲み会とのことなので、一人カキ鍋。

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昨日ちょっと飲みすぎて、鬱になったので、今日は休肝。

仕上げはもちろん雑炊。

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とはいえ、ご飯の残りが少なかったので、米スープだw

ところで、昨晩は酒を飲んで、いろいろ考えているうちに、鬱鬱してしまい、実は今朝まで続いていた。引き金は、安楽死報道だった。

50を越えると、これから人生逆転なんてことは、まあないと思うのである。いや、若い人だって、未来を悲観していたら大差ないだろう。人生よくならないと思ったら、ただしんどいだけ。不謹慎かもしれないが、こういう状態と不治の病とでは、僕には大差ないように思えるのだ。

なんてことを考えると、死にたい気分になるわけで、酒なんかが入ると拍車がかかる。それが今朝まで続いていたわけ。

こういうことって考えれば考えるほど分からなくなることで、みんな無前提に生を肯定しているが、本当にそうなのかと思う。死んだら悲しむ人がいるだろう?という議論も、俺は人のために生きてるんじゃないと言われたら返す言葉もないはずだ。

まあ、とはいえ、本当に死にたいわけでもなく、死にたくない気分をどうにかしたいだけでもある(本当に死にたいならそれこそ鬱病だから、僕なら病院に行く)。そもそも、食事制限をしてみたり、運動してみたりで、生きる気満々ではないか。気分の問題である(と、今思えばそうだが、思い詰めているときは結構マジに最悪の気分だったけど)。

これは、要するに楽になりたい、逃げたいというだけのことなので、こういう気持ちを消せばいい。

こういうときに読む本がいくつかある。『神々の山嶺』はその1つだ。夢枕獏の原作も3回ぐらい読んでいるが、忙しいときは谷口ジローのマンガ版がいい。原作にほぼ忠実(マンガのほうはエンディングに追加あり)で獏テイストとジローテーストの両方が味わえる。

主人公の羽生丈二は、世界でも有数の技術と不屈の根性を持つ山男だ。山に取りつかれて、勤め人になると自由に山にいけないという理由で40歳を過ぎてもフリーターのような生き方をしてきた。山で死ぬのは怖くない、いやむしろ死にたいが、わざと死ぬようなことはしない。なんとなく、「世界でも・・・根性」の部分を除くと僕と似たところもあるようにも思えなくない。

その羽生のセリフが、僕を生き返らせる。

「いいか/不幸か幸福かなどもただの結果だ!/生きたあげくのただの結果だ/幸福も不幸も関係ない!!/そういう結果を求めて山に登っているんじゃない!!/おれはゴミだよ/ゴミ以下の人間だ/山をやっていなけりゃな/おれはどう生きたらいのかなんてまるでわからないがな/山屋である羽生丈二のことならわかる!/いいか/山屋は山に登るから山屋なんだ/だから山屋の羽生丈二は山に登るんだ!!/何があったっていい!!/幸福な時にも山に登る/不幸な時だって山に登る!!/女がいたって逃げたって山に登っていればおれは山屋の羽生丈二だ/山に登らない羽生丈二はただのゴミだ」

羽生丈二を森川滋之に、山を売文に言い換えれば、自分のことではないか。生きるというのは、こういうことなのだ。ゴミでいいじゃないか、燃えられることが1つでもあるのなら。