※「じょう」は「酉」へんに「農」。「濃い味」の意味。

大意)本当の味は、濃厚な味ではなく、淡白な味である。道を極めた人は、卓越した人ではなく、平凡な人である。

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50歳を過ぎても濃厚な味付けのものが嫌いではないのですが、さすがに以前ほどではなくなってきました。僕は自分で料理をしますが、以前よりできるだけシンプルで素材の味を活かした味付けに変わってきています。

道を極めた人は、やはり卓越した人だと思うのですが、おそらく「卓越して見えるうちはまだまだ」というような意味が込められているのでしょう。

中島敦の『名人伝』の世界です。弓矢が何をするものが分かるうちは弓の名人とは言えない。およそ「道」と呼ばれるものは、すべて生活に根ざしています。完全に生活の一部となってしまえば、おそらく平凡な動作にしか見えなくなる。しかし、凡人には真似ができない「平凡さ」なのでしょう。無為自然としか言いようがないような。

あるいは、完全に身についていない人は、「不自然」なので目立ってしまう。こういうことかもしれません。