「人材」をあえて「人財」と書く企業や経営者がいる。
気持ちはよく分かる。社員を会社を構成する「材料」などと捉えずに、会社の「宝」だと言いたいのだ。基本的にはいい会社なのだ。社長もきっといい人なのだ。
だから、その気持ちは尊重したい。そんな書き換えはダメだと否定もしない(以下、否定的ではあるけれど)。
でも、僕はこういう会社ではあまり働きたくない。
というのは、「材」だろうと「財」だろうとしょせんは「所有物」だからだ。しかも、「材」にはまだ、「基礎となるもの」や「才能」といった意味があり、流動性がありそうだが、「財」はめったなことでは手放さないものである。
それがうれしい人はそれでいいと思う。
僕は自由が欲しいので、会社を辞めたいといえばあっさりと辞めさせてほしい。
所属欲求が強い人は「人財」と呼ばれて喜ぶだろう。所属欲求が弱い僕には鬱陶しい。それだけのことだ。
良い悪いではない。ただ「人財」と言われて喜ぶ人は、やや依存的で不自由には感じる。繰り返すがそれが悪いとも思わない。だから、僕を悪いとも思わないでください。
#一応漢和辞典で語源まで調べて書いた。実は「材」も「財」も大した違いはない。