1999年に心を壊してしまった。

当時、僕はある大変なシステム開発プロジェクトのリーダーだった。

リーダーの僕が、朝の会議で人目もはばからず泣いてしまった。これはやばいと思った。つい先日雑誌で読んだ鬱病の前兆にこの通りのことが書いてあったからだ。

妻にすぐに電話した。妻は当時、大正大学の大学院で臨床心理を学びながら、デイケアなどのバイトをしていた。いいクリニックを教えてもらえると思ったのだ。実際いいクリニックだった。

クリニックが決まったので、上司に事情を説明して早退し、さっそくそのクリニックで診てもらった。

診断名は抑鬱神経症。現在は気分変調性障害という。「障害者」を「障がい者」と書くのはあまりいいことと思わない僕だが、こうやって「障害」と言われると、確かに嫌な気分になる。

鬱病ではなかったが、これはこれでかなり苦しい病気だ。

先生は、2カ月休む診断書でも、残業をゼロにする診断書でもどちらでも書けると言った。僕は2カ月休むほうでお願いしますと言った。

原因が仕事なのは明らかだったからだ。

僕がやたらに「自由」に拘るようになったのは、このときからだと思う。

抑鬱神経症は幸いよくなり、薬は要らなくなった。だが、「気分変調性」というのは振り幅は狭くなったが続いているようだ(実際、この病気を「慢性鬱」という医者もいるらしい)。

様々な理由で自由が危うくなると、気分が落ち込む。気分が落ち込むとやる気がなくなり、ますます自由が危うくなる。もうダメだと思ったところで、何とか突破口を見つける。

1999年以降の僕の人生はこの繰り返しだが、しかし何とか自由を守ってきた。本当の自由ではないと最近学んだが、それでも普通の勤め人と比べたらかなり自由だ。

落ち込むと、本当の自由を求めて学びのモードに入る。とにかく本を読む。新しく読む本もあるし、昔から持っている本もある。パターンとしては、新しい本をたくさん読み、最後の最後に昔読んだ本を再発見して、またやる気を取り戻すということが多い。

つまり、せっかく学んだことを忘れてしまっているのだ。なぜ忘れるかといえば、記録していないから。

なので、このカテゴリーでは、今まで学んできたことをまとめつつ、新たに学んだことがあれば書いていきたいと思う。

僕のような苦しみ・悩みはけっこうみんなにあると思うのだが、それに対して、考え方をプラス思考に切り替えろとか、夢や目標を持てとか、単にまだまだ努力が足りないだけだとかいう人が多いように思う。

それで救われる人はいいが、僕のように救われない人もいる。救われない人のためになればと思って書くことにする。