大意)人として生きるなら、自分から一歩譲るのがよりすぐれた身の処し方である。一歩を譲ることが、一歩を進めるための足がかりになるからだ。人を待遇するときは、完璧を求めないで1分の寛容さを持てれば幸いだ。人に利益を与えることが、実は自分に利益を与える第一歩だからだ。

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このところ、人に譲ろうという話が続いていますが、ただ譲るだけじゃないんですね。譲りながら自分の足場を作る。これが肝心です。後ろをきちっと見ながら譲るんです。

譲るのはいいけれど、後ろのほうを見ていないので、後ろの人にぶつかったり、足を踏んじゃったりしちゃう人がよくいますが、これは迷惑千万で、いらない恨みを買うことになります。360度、きちっと気を配れる人でないと、スムーズに譲ることなどできません。

ただ、360度気配りできるなんていう人は本当にめずらしく、だからこそ、きちっと譲れる人はすごいんです。その上、足場まで確保するわけだから。

雑な人は譲るのも下手なんですよ。

以前、山登りに行ったときに一箇所譲り合わないといけない場所がありました。休日だったので、待っている間に結構渋滞しちゃうんですね。

僕らの向きの先頭の兄ちゃんが気の弱い人で、譲るのはいいのだけど、いつまでたっても譲ってくださいと言えないで、僕らの側に信じられないような渋滞ができてしまいまったんです。

後ろが見えていないんですね。見えていれば、「すみません、譲ってください」って言えるはずなんです。しかたがないので、僕が代わって言ってあげました。

しかし、彼女連れてくるなら、もっと毅然とした人間になってほしいものです――などと言わずに、そういう人を許してやれよ、というのが後半部分ですね。

そうなんです。僕が代わりに言ってあげたもので、先頭の気の弱い兄ちゃんは感謝してくれていました。反対側の人も、恨まれずに済むし、譲ったことで感謝されるしで喜んでいました。

それに、僕が兄ちゃんを怒らなくても、僕の少し前にいたお嬢さんが「いつまで譲ってるのよ」とブツクサ聞こえよがしに言っていましたからね。そのお嬢さんは何もしないくせに文句ばっかり言う女だと、周囲に悪印象をまき散らしていましたよ。

譲りましょう、許しましょう――できる人は感謝され、できない人はみっともない。