(大意)行動ばかりの人は、雲間の稲妻や風前の灯火のようなもので、逆に全然行動しない人は死んだも同然だ。不動の雲や静かな水のような心構えでいながら、鳶が飛び魚が踊るような気性を持っていてこそ、なんとか途が開ける人の心持ちであると言える。 |
今日は漠然と不安で元気がありません。こういうときこそ『菜根譚』を読みべきだと、藁にもすがる思いで頁を開きました。
まさにこの通りと思いました。
ダメなときはジタバタしてもダメ。かと言って死に体になってもダメ。じっと心を落ち着けながら、しかし心の中を鋭気で満たす。このようなことが必要だなあと改めて思う次第。
いつまで経っても修行が足りない僕ですが、かなり落ち着きを取り戻し、元気も出てきました。
さて、昨日は岩手県の北上で、ある社長にインタビューをしてきました。
いろいろと勉強になったのですが、その中でも特に心に響いたのが、「災害時に助かりたいと思うなら、助けられる人でなく、助ける人になれるよう普段から心がけよう」というメッセージでした。東日本大震災の教訓からのメッセージです。この言葉の通りでは無かったのですが、僕はこのように受け取りました。
これを広くビジネスや、もっと言えば生き方に応用することを考えてみました。
キレイゴトではなく、少なくとも犯罪やそれまがいのことをせずに成功しようと思えば、人の役に立つことをしなければなりません。これは真実と思います。
しかし、人の役に立とうと思えば、何らかの余力が必要です。人間、その余力がない時がしばしばあります。
例えば、僕は僕なりに人や世の中を元気にしたいと思って執筆活動をしているのですが、そう考えている僕自身に元気がなければ、人を元気にするのは難しいでしょう。なので、元気が欲しいと思うのですが、その元気の素、たとえば経済力がないとなかなか元気になれません(今日元気がないのはそういうわけではないのですが、わかりやすいたとえとして採用しました)。
元気になれないと人の役に立てないので、ますます経済的に低迷し、さらに元気がなくなるということが往々にして起こりがちです。悪循環というやつです。
これを断ち切るためには、どこかで無理矢理にでも元気になる必要があります。
こういうときは人に会うか本を読むかどちらかがいいようです。本日は『菜根譚』に救われました。