(大意)生きている間の心持ちは、できるだけ広くあることが肝要で、そうすれば不平不満がなくなる。また死後の恵みは、できるだけ長く伝わるようにすることが肝要で、そうすれば精神的な豊かさに通じる。 |
この数ヶ月自分の何がダメなのかをずっと考えてきました。最終的には、このブログで少しずつシェアしているように、『菜根譚』をきっちり読んでみようということにつながっていますが、その少し前に佐々木俊尚さんの『自分でつくるセーフティネット』という本を読んだことが、大きなヒントになりました。
同書を読んで僕が思ったのは、以下の2点が自分のダメなところではなかろうかということだったのです。
- 人に対して寛容さ足りない
- 人の役に立つことを第一に考えていない
同じような反省を何度もしている気もするのですが、より具体的にそう思ったのです(ここでは具体例を挙げませんが、いろいろな事例が思い浮かんできました)。
なので前半の、「生きている間の心持ちは、できるだけ広くあることが肝要」というのはよく分かります。これは寛容の進めです。そして、実際に寛容を心がけると、「不平不満」が完全になくなったわけではありませんが、ほとんどなくなってしまいます。
僕が自分のダメさ加減を反省しようと思ったのは、仕事が思い切り減ったからでした。誰かと喧嘩したとか、来た仕事を断り続けていたとか、そういうネガティブが行為があったわけではないのです。むしろ、一生懸命マーケティング活動などもしていました。なのに仕事が来ない。あるいは話があったのが立ち消えてしまう。
何だか運のめぐりが悪いという感じなのです。こうなるとじたばたしてもいいことはない。でも、何もしないとジリ貧になっていく。いやな状態です。
それが、寛容になってみようと思った途端に仕事が来るのです。本当に不思議です。
僕はスピリチュアルな人間ではありません。子供の頃は、UFOとか幽霊とかを信じていましたが、今はアンビリーバーです。占いは好きだけど、信じているというよりは、縁担ぎのジンクスのようなものが欲しいだけです。
ただ、心構えが周囲に影響を与えるというような考えはあり(なぜなら心は実在するからです)、うまくいかないときは心構えに問題があるというような考えは持っています(こういう考えなので、『菜根譚』を取り上げようと思ったのです)。
後半の「死後の恵み」云々もしっくり来ます。
これは、他の本でも全然構わないのだけど、たまたま芭蕉の『奥の細道』を読んでいたときに、古典を読むということは時間を超えて著者と会話しているようなものだと改めて感じたのです。
僕も運良く5冊本を出しています。古典と言われるようなものになる可能性はほぼありませんが、それでも図書館に入っているようなものもあります。だから、僕が死んだあとも読んでくれる人がいるかもしれないのです。その中には僕と会話した気持ちになる人もいることでしょう。
そう考えると、これぞ死後の恵み(原文では「身後の恵沢」)だと言えます。
今後、本を出せるかどうかはわかりませんが、その時にはできるだけ後世に残るものを書きたいを思う次第です。