(大意)完全無欠な名誉や節操は、自分一人で独占してはいけない。わずかでも分け与えれば、気概を遠ざけ、天珠を全うできる。恥ずかしく良くない行為や評判も全部人のせいにしてはいけない。わずかでも自分の身に引き寄せれば、才能をひけらかさず人徳を養うことができる。 |
いやあ、手柄も名声も富も独り占めしたいですよね。人間だもの。
DQNとかがやってることはひたすら非難すべきことであり、自分は関係ないですよね。
それが自然な感情というものです。
でもねえ、感情に任せて生きていけばうまくいくなら苦労しません。
というより苦労はありません。苦労なくしてうまくいくなんてこともないわけで。
僕もいまだに苦労が好きじゃありません。仕事がないと不安になるけれど、仕事が次々入ってきても「本当にこの根性なしの自分にこなせるんかいな、迷惑かけて、怒られて、結局仕事がこなくなったらどうしよう」なんてことを思って不安になったりもします。
でも、結局苦労しないとダメだし、その苦労にお金を払ってくれるんだし、だったら苦労を積極的に楽しむぐらいしか道はないなあと思い直すわけです。
実際、第三者の目で見ると「こいつどうやって仕事こなすんだろう」と思ってワクワクします。
なんだか、原典とドンドン離れていっているようなので、強引に戻しましょう。
僕のようなフリーライターでも、関係者はたくさんいて、発注者、編集部、取材先、発注者のバックオフィスや他の外注先、印刷所などなど最低でも10人ぐらいの関係者がいます。
もちろん、僕もワンオブゼムなわけですが、ライターというのは主要部分を担当しますので、どうしても自己チューになりがちで、署名入りならもちろん、ゴーストでも何だか自分の手柄みたいに思いがち。
いや、ライターだけではないんですね。実はみんな自分が主役、主役でなければ陰の功労者ぐらいに思っています。思いたいですよ、それは。
なので、みんなが主役でこの仕事というのは進んでいるんだなと思うことが、仕事をうまく進める第一歩だと思うんですね。
そうすれば、自然にねぎらいや思いやりの気持ちが湧いてきて、なんとなく円滑に動き始めます。
周りにそんなことを期待しなくても、自分だけでもそういう気持ちになれば、少なくとも自分が関わる部分はそうなっていきます。仕事ってそんなものなのです。
これを広く社会に展開すると、世の中には本当に信じがたい事件があるわけで、腹も立つし、心も痛むし、とんでもないDQNは死ねみたいなギスギスした気持ちになっても不思議ではありません。
僕だって一瞬なります。でも、そこで一歩踏みとどまって考えるのが大事だと思うんです。
自分は絶対にそういうことに手を染めないだろうか、今のところ手を染めていないとしたらその理由はなんだろうか、彼らはなぜそういうことをするんだろうか、などと前提を外して考えてみることは必要なんじゃないか。
そうするといろいろなことが見えてきて、ならば直接変えられないかもしれないけれど、こういう形であれば社会に少しでも貢献できるんじゃないかという、いわばアイデアが出てきます。
そのアイデアは仕事を広げていくことに役立つはずだし、また、こういうアイデアを出すプロセスを経て、能力的にも人間的にも成長する。
こういうことを洪自誠は言っているんだと思うんですけどね。